来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

各話感想

第192話 怪物【感想】

こちらの文庫本はフランツ・カフカの「変身」です。1915年に発表されたこの作品は、現在カフカの代表作として知られています。(断食芸人という短編も収録されています)

変身(フランツ・カフカ)

ところでこちらの小説。

実は2年前のあらすじ紹介「第108話 生い立ち」でもざっと解説しております。もしかしたら見覚えがある方もいらっしゃるかも知れません。


第108話の記事でなぜこの小説を持ち出したのかと言いますと、それは「変身」の主人公を襲った出来事が関わっています。

第108話のあらすじ紹介の繰り返しになりますが、平凡な日々を送っていた男がある日突然数奇な運命に見舞われ、そして苦悩に苛まれる様子が、第108話で登場した少女に重なったからでした。

詳細を書くとネタバレになりますのでここでは書きません。ただ、どんな内容だったか気になる方は単行本10巻をぜひご覧下さい。私の言っていることが少しは伝わるかと存じます。

そして、この画像を再び持ち出してきたということは、またもや似たような運命に翻弄される人物が出てきたからに他なりません。現実世界ではまずお目にかかれない、「自分」という存在が「自分」ではなくなる、そんな事態がまた起きてしまったのです。


ですが、今回のエピソードを語るには「アイデンティティの崩壊」という言葉さえも生易しいと言えるでしょう。

人間社会における最高級に位置する「貴族」という地位。

それが揺らいだのみならず、自身が人間でさえもないとしたら、果たしてその現実を直視できる生物が存在しえるでしょうか?

それほどまでに凄惨で、物悲しい描写が繰り広げられました。
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第191話 欠けた記憶【感想】

シャドー家のために作られた「生き人形」と、シルエットだけがその生き写しという「シャドー」が存在する摩訶不思議な物語。

それがシャドーハウスです。

彼ら彼女らがなぜ二人一対で生まれ、そして行動を共にしているのかは本編で明かされておりますが、これについては4巻までお読みの方はご存じかと思います。まだ読んでいない方はネタバレを知る前に、まっさらな状態でぜひ読んで頂きたいですね。その設定の妙に、「類似作品不在」のキャッチコピーが決して誇張でないことが納得いただけることでしょう。

ところで、シャドーハウスの連載当初に読者の間で少なからずこんな考察がありました。


“シャドーと生き人形の性格には相関関係がある”


こんな考察です。

なぜこんな考察があったのかと言いますと、当時明かされたエピソードを読んでみると、シャドーと生き人形の性格が真反対である事例が多かったからです。それもあってか「シャドーの性格は生き人形の願望である」、または「生き人形の性格はシャドーの願望である」といった説があったのです。

因みにこれらの答えは第100話でケイトが解説してくれてます。それまでに作中で明かされた設定を基にした、彼女らしい理路整然とした説でした。


ただ、そんな風に真相が明かされてもなお、どんでん返しが珍しくないのもシャドーハウスの醍醐味です。そんな展開に驚かせられたのは一度や二度ではありません。

此度のエピソードでは「どんでん返し」というほどではないものの、読者が描いていたイメージとは異なる、とある人物の内面が明かされました。

主人公組以外では唯一全巻に登場する美少女・ルウ。

彼女が本当に欲しかったものは、誰にも負けない強さでした。続きを読む

第190話 狂信者【感想】

いやあ、直球のサブタイトルがきましたね。

ズバリ「狂信者」

第11話で「偉大なるおじい様」なる語句が登場して以来、館に住む全てのシャドーと生き人形が崇拝する絶対的な存在として「シャドー家を統率するシャドー家の王 (私たち)生き人形の生みの親 偉大なる創造主様」は描かれてきました。

その様子はまさに「狂信」「妄信」と言っても言い過ぎではないでしょう。第44話ではすす珈琲の影響もあって、おじい様の姿を見たこどもたちが狂喜乱舞しておりました。常軌を逸したあの光景はまさに「狂信者」そのものです。(それにしてもおじい様の本名、長いなあ……)


しかし、そうした集団から抜け出すことのできた人物がいます。

物語の主人公・ケイトです。

彼女が館における“おじい様絶対主義”に染まっていない理由はネタバレになるので触れませんが、とにかくケイトは第1話から館に反意を持っているのは周知の通りであります。シャドーハウスという物語は、ケイトの館に対する抵抗の物語ともいえるでしょう。


ただ、そんな孤独な闘いも今では大分様相が変わりました。エミリコを始めとして多くの心強い味方がケイトに付いたからです。

まだまだ対等とは言えませんが、偉大なるおじい様が支配する勢力にとって、ケイトの率いる仲間達は決して無視できない存在になりつつあります。今後どうなっていくのかまだまだ先の読めない展開が続きそうですね。


ところが、そのどちらにも与しない第三勢力の一端が此度発覚しました。しかもその派閥のリーダーは既に世に存在しないというのですから驚くべきことです。普通ならそんな組織は形を保つことさえ危ういでしょう。

ただ裏を返せば、それでも組織として成り立っているのは、亡きリーダーに強烈なカリスマがあったことと今を支える「狂信者」がいるからに他なりません。

シャドーハウスにも、ついにそんな怪しげな「教団」が姿を見せました。
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第189話 一体化の儀式【感想+考察】

シャドーハウスの魅力・楽しみ方は人ぞれぞれかと思いますが、やはり1番の特徴と言えば「顔の見えない一族」が主要キャラクターであることでしょうか。

他の作品でも顔の見えないキャラクターが登場するのは珍しくないものの、シャドーハウスにおいては約半数が顔の見えないキャラクターで占められています。

こんな作品は恐らく、古今東西見回しても例がないでしょう。影絵であればともかくとして、それ以外ではまず思い当たりません。もしあれば教えて頂きたいくらいです。

シャドーハウスという作品を紹介するにあたって「類似作品不在」というキャッチコピーが用いられることは多いですが、それが誇張でないことは本ブログにお越しの方は存じていらっしゃるかと思います。

そんな「顔の見えない一族」のキャラクターの表情や感情、そしてそれに付随する様々なストーリーをああだこうだと想像し、語り合い、次話のエピソードの更新を楽しみにする……。

それがシャドーハウスの楽しみ方の一つであることは間違いありません。


しかし、一方でキャラクターの表情が読めないというのは不気味です。

ソウマトウ先生はシャドーハウスを「ファンタジーミステリー」(過去ツイート)と仰っておりましたが、謎に包まれた舞台やストーリーもさることながら、顔の全く見えないキャラクターが跋扈しているという設定もミステリアスさをより倍増させています。

この点について個人的に好きなのは第89話のラストですね。

過去記事でも書きましたが(「第89話 甘言」)、最後のページでケイトに挨拶をするサラの顔はもちろんとして、隣にいるミアの姿が意図的に隠されたことによって全く彼女の表情が読めず、どんなことを考えているのか一目では分からないようになっています。

当然ながら、我々読者は神の視点から見ているわけですからサラが何をしようとしているのかは把握していますが、しかしそれでもなお、表情が見えないだけでここまで不穏な光景になるのかと当時は驚きました。一面的な意見なのは自覚していますが、「顔の見えない」という設定が活かされたシャドーハウス有数のシーンだと思っています。


さて、しかしそうすると「シャドー」と呼ばれる面々が何を考えているのかを知るにはどうしたらいいのかという話になりますが、読者からすれば彼ら彼女らのモノローグがあれば間違いなく分かります。会話シーンでは登場人物同士の駆け引きもあるでしょうが、モノローグであればよほどのことがない限りキャラクターの本心が書かれていますからね。

もしそうでないのであれば、キャラクター自身が自分を誤魔化したり誤解しているとか、そういった説得力ある設定や描写(伏線)が必要になるかと思います。いずれにせよ、読者からすれば物語を読み込んでいればまず読み間違えることは少ないと言えるでしょう。


ただ、逆に言えばこのモノローグがなければお手上げともいえます。

シャドーハウスではその代表がルイーズでした。

なぜなら、お喋りな彼女にはほとんどモノローグがなく、口数とは裏腹に本心が掴みにくいキャラクターだからです。SNSではそういった感想がこれまでに多く見受けられました。特に「一体化」に関しては、彼女が何を考えているのか分からないと危惧する声も少なくなかったです。


しかし、此度のエピソードではルイーズが「一体化」についてどう思っていたかその種明かしがなされました。

そしてそれと同時に、謎に包まれていた「一体化」の儀式の様子が描写されました。

第37話でソフィが「館の重大な秘密」と語っていた秘儀の一端がついに明らかになります。
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第188話 敵と味方【感想】

信じた道を征く、初志を貫徹する……

こうした言葉は人生の指標として、或いは憧れとして語られることが多いです。人生訓として用いられることもあれば座右の銘として掲げる人もいますし、言葉は違えど似た意味合いの語句・文章を見かける機会は少なくありません。

それこそ実生活の中だけではなく、創作物の中にもそれらの大切さを説く作品はいくらでも溢れています。


ただ、そうした風潮がありふれているのは誰もがそんな風に生きているからではありません。むしろ、信じるべきものを信じて生きていくことの方が難しいのが世の常です。

しかし、だからこそでしょうか。

強い意志を持って目指す道を進んでいくアスリートや冒険家、あらゆる分野のパイオニアや第一人者が称賛と共に憧憬を集めるのは。

もしかしたら、誰しもが一度は抱きながらも夢破れた各々の理想像を、知らず知らずのうちに重ねているのかも知れません。


自らを信じる、と聞いて私が最初に思い浮かべるのはCHAGE&ASKAの「PRIDE」という曲です。

デビュー10周年に発売された同名のアルバムはオリコンの週間チャートで1位を記録しましたが、当時のCHAGE&ASKAは楽曲の質の高さとは裏腹にセールスは伸びず、苦境の中にいました。

そんな風にもがく中で二人が発表したのが「PRIDE」です。



日々の生活に疲れ果てた主人公が挫折や諦観を抱えつつも前を向き、どんなに打ちのめされようとも“PRIDE”だけは譲れないと立ち上がる。そんな人間の弱さと強さが6分間のバラードに込められた名曲です。

彼等はこの2年後に「SAY YES」の大ヒットで日本を代表するアーティストに上り詰めますが、デュオとして耐え忍んだ期間を象徴する「PRIDE」は、1994年のミュージックステーションのファンアンケートで1位に選出されました。今もなお、往年のファンだけではなく当時まだ生まれていない人々の心を掴んで離さない魅力を放っています。


さて、私も例外ではなくこの楽曲に惹かれた一人ですが、その中で印象的な詩が「誰も知らない涙の跡」の部分です。

誰もが他人には見えない心の中で悲しみや苦しみを抱えて生きている、という普遍的かつ真理を突いたこの一節に学生時代は救われたものでした。今では大分ふてぶてしくなったので繊細さなどとっくに捨て去りましたが、それでも思い出深い懐かしい記憶です。


ところで、シャドーハウスでは心はおろか表情すら見えない一族が存在しています。

「シャドー」です。

今更語るまでもありません。彼ら彼女ら「シャドー」は表情が見えないことで不便を強いられ、時にはすれ違いを引き起こし、果ては悲劇に繋がることも珍しくない境遇を抱えて生きています。

その悲しみはReoNa氏の「まっさら」でも歌われていました。こちらも名曲ですので機会がありましたら是非聞いて下さい。


では長くなりましたので本編へとまいりましょう。

今回のエピソードでは、心だけではなく身体に負った傷さえも誰にも知らせずに戦ってきた、一人の少年の姿が描かれました。

そしてその苦闘を誰よりも近くで見守ってきたもう一つのシルエット。

プライドを持って立ち上がった時、彼らはもう一人きりではありませんでした。
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