来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

各話感想

第137話 がらくた【感想】

第117話のエドワード、第125話のスージーに続き、今話はバービーの単独カラー扉です。

以前でしたら単独カラー扉はエミリコの専売特許でしたが、最近になって他のキャラクターの登場が目立ってきていますね。アニメの影響によって作品自体の人気が出てきたからでしょうか。

母数が増えれば多様化が進むのは自然の摂理ですから、ひょっとしたら今後もあっと驚くようなキャラクターに焦点が当てられるかも知れません。温室班のマーガレットとマギーや、大成しないなんて言われていたウィリアム組とヘンリー組のメイン回も期待したいですね。


さて、ところでシャドーハウスにおいて初めてポートレイトが描かれたのはいつなのかご存知でしょうか?

実は、今回の扉絵の主であるバービーの初登場回(=第7話)、つまりバービーが着ていたのがポートレイトの初お披露目でした。なんと、第11話のミアではないのです!

このポートレイトは言わば生き人形にとって「制服」的な存在ですが、実際にお披露目に「合格」した生き人形のみが着ることを許された特別な服です。だからこそ、第44話でエミリコはポートレイトを着て感激していたのです。今思うと、なんだか憧れの制服を着て喜ぶ少女感がありますね。(ソウマトウ先生のシャドーハウス学園もそういえばポートレイトベースの制服だ…)(あ、でも男子は詰襟…)


扉絵のバービーも、今では考えられない眩しい笑顔をこちらに向けています。

着ている服はポートレイト。

そうとくれば、このイラストはお披露目直後の彼女の姿を現しているに違いありません。

アニメ第1話のCパート(次回予告?)で話題になっていたあのシーンとリンクした、輝かしい過去の面影。

かつての無垢な笑顔をめくってみると、その下にはあまりに辛い「消えない傷」が隠されていました。
続きを読む

第136話 誰がために【感想】

あまり聞き慣れない「誰がために」という言葉。

現代風に言えば「誰のために」という意味ですが、私が真っ先に想起したのは石森章太郎氏の名作「サイボーグ009」のアニメ主題歌の題名です。

「サイボーグ009」は、悪の組織に攫われてサイボーグに改造された九人の戦士が、組織に対して造反した博士と共に世界の平和のために闘う少年漫画です。

組織に攫われて改造された人間がその組織に対して抵抗する、というとどことなくシャドーハウスを彷彿とさせますね。

ちなみに先程「少年漫画」と書きましたが、主人公の島村ジョーのナイーヴな性格が世の少女達の支持を得たことから、少女漫画誌にも掲載されたこともあります。

この辺りも男女問わない人気があるシャドーハウスに似てますね。


さて、件の「誰がために」という曲はサイボーグ戦士たちの悲哀が綴られており、今なおサイボーグ009を代表する楽曲とされています。

望まぬ改造を受けた哀しみ、普通の人間には戻れない絶望、平和のために自身が戦わざるを得ない現実、繰り返される愚かな人類の所業、否応なしに翻弄される運命……。

彼らの境遇がありったけ詰め込まれた歌詞を書いたのは、原作者の石森章太郎氏でした。すぎやまこういち氏の壮大な編曲もさることながら、この楽曲が今日でも語り継がれているのは、人生における苦しみの一つ一つを身に覚えのある出来事として、聞いた人々の心に響いているからなのかも知れません。


ところで、そうすると此度のサブタイトル「誰がために」は誰の心情を示しているのか気になるところです。

シャドーハウスでは、シャドーは偉大なるおじい様のため、生き人形は主人のシャドーのために存在しているからです。ケイト達を除けば、従来のシャドーハウスではそれが常識です。


しかし、それはあくまで表面上のことです。

今回のエピソードでは、かつて主人の心情を汲み取り間違えていた生き人形と、そのことについて気付きを得た生き人形が登場しました。
続きを読む

第135話 主従関係

シャドーハウスがどんな作品かと問われた時、「主従関係」を無視して語ることはかなり困難です。

試しに、シャドーハウスの魅力を誰かに教えると想像してみて下さい。様々な切り口で説明したところで、終わった頃には「主従関係」或いはそれに似た言葉を使わなければ成り立たないことを、嫌でも痛感することと思います。


余談ですが、アニメシャドーハウスの一期が初放映されたのは令和3年4月10日でした。

この日はシャ(4)ドー(10)と読むことができる、なんて一部で話題になっておりましたが、実は「主従の日」でもありました。

シャドーハウスのタイトルと内容、両方に関係のある日が偶然にもアニメ第1話の放映日だったのです。

運命の悪戯とはかくもよく転がっているものですね。こういった現実世界とのクロスオーバーはシャドーハウスでは珍しくありません。いつかそれをまとめられればと思っています。(何年後になることやら…)


ところが、よく読んでみると同期組に関しては単純な「主従関係」とは言えない部分もままあります。

私的見解ですが、

ケイト&エミリコ→母娘、親友
ジョン&ショーン→兄弟、相棒
ルイーズ&ルウ →姉妹、級友
シャーリー&ラム→魔女っ娘と使い魔

この4組はこんな風な関係ではないかなと眺めています。もちろんこれは私の考えですので違うという方もいらっしゃるかと存じますが、いずれにせよ「主従関係」という一言では言い表せられない関係性を彼ら彼女らは築いているのです。


すると、パトリックとリッキーは同期の中では稀有と言えそうです。

パトリックは立派なシャドーでいようと心掛ける描写が散見されますし、リッキーは主人のために優秀であろうと努力するシーンが多いからです。

同期組の中で、これほど自己を「主人」或いは「従者」だと自覚しているのはパトリック組が唯一でしょう。ある意味貴重なペアだったわけです。


しかし、此度のエピソードでは本音を語り合うことで、二人は「主従関係」とは違う関係性を発見しました。

それでは本題に移りましょう。

サブタイトルこそは「主従関係」ですが、第135話の主題は「魂の友」(ソウルメイト)です!!続きを読む

第134話 心【感想】

「心」というサブタイトルを見た時、思い浮かんだのは夏目漱石の「こゝろ」でした。

夏目漱石と言えば知らぬ人はいない明治の文豪です。以前は千円札にも肖像として採用されていました。

千円札(夏目漱石)

小説の「こゝろ」も有名です。全編読んだことがなくても、学生時代に国語の教科書で触れた方も多いかと思います。調べてみると、これまでに700万部以上を売り上げた国内で最も売れた本とのことです。
(村上春樹氏の「ノルウェイの森」の方が売れてると思うんですが、どこ情報なんだろう?それとも単巻限定ということでしょうか。)


ところで、実は以前にも本ブログで夏目漱石について触れたことがありました。

第30話のあらすじ紹介です。(第30話 黒い点)

かなり前の記事ですね。偶然でしょうが、100話以上の時を経てあの時と関係のあるエピソードで再び同作家を想起するとは思いませんでした。

当時の記事ではエミリコの献身を「三四郎」の台詞を引用して紹介しています。暫くぶりに読み返してみて、あんな事もあったなあと懐かしくなりました。

第30話が公開されたのは3年前の5月30日ですので、きっと似たような気候が同じような思考を生み出したのかも知れませんね。


ただ、何もかもを偶然で片づけるわけにはいきません。

此度の第134話は純粋な二人がメインのストーリーでした。
公開日の6月9日と同じく、「無垢な」やり取りが繰り広げられます。続きを読む

第133話 無二の存在【感想】

タイトルに「無二の存在」とありますが、ケイトとエミリコにとっては互いこそが「唯一無二」の存在であることは疑いないでしょう。

23度目のカラー扉となった今号のシャドーハウスは、ケイトとエミリコが背中を向け合ったイラストでした。(週刊ヤングジャンプの公式ツイッターから一部見られます→【カラー扉付】)

単行本第8巻と同じく、背中を預け合うことのできるケイトとエミリコの信頼関係は強固です。揺るぎありません。

ケイトとエミリコが多くの困難を共に乗り越えてきた証。まさにそれが表現された構図だと思います。


さて、振り返って自分はどうなんだろうと考えましたが、今のところ私にとっての「無二の存在」はシャドーハウスかなと考えています。

娯楽作品を「無二の存在」と言い切ってしまうのはいささか危ういかと思いますが、それでもぱっと浮かんだのはこの漫画でした。我ながら随分と入れ込んだものだなあと感心(呆れて?)しています。

まあ、それでも後悔はしないと確信していますからこれで良いかなというのが率直な思いです。人ぞれぞれ答えが違っていて当たり前でしょうからね。


今回のエピソードでは、ケイトとエミリコ以外のキャラクターも「無二の存在」がいることが描写されました。

ところが、とある人物に関しては予期しない形でそれが判明してしまいます。
続きを読む
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ