来客のない奇妙な館 ~シャドーハウス考察ブログ~

ヤングジャンプで連載中のソウマトウ先生作、“シャドーハウス”の考察ブログです。

各話感想

第132話 奥の手【感想】

本ブログでは、これまで「シャドーハウスはサブタイトルも凄い!」と散々繰り返してきましたが、シャドーハウスはサブタイトル以外にも本編とは関係のないところにネタが潜んでいます。

例えば「煽り」です。

雑誌で読んでいる方はご存じかと思いますが、毎回冒頭やラストには編集部(担当者でしょうけども)が考えたと思われるコピーが掲載されています。

個人的に今までのラストページの煽り文で好きなのは、「……これぞ真のシャドーボクシング…?」です。

これだけでどんなエピソードだったのかお分かりでしょう。言うまでもなく、ジョンとショーンが夕日を浴びて殴り合ってたあの第51話です。
うん、ただの駄洒落ですね…。

そういえば、前々回ラストの「勘のいい子は…。」という煽り文も結構な反響がありましたよね。元ネタは人気漫画・鋼の錬金術師の「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」という台詞ではないかと推測されておりますが、真相はどうなのでしょうか。

本当だとすれば、わざわざ他出版社の作品のパロディを編集部は…(以下自粛)


さて、今回なぜ煽り文について書いたかと言いますと、第132話のラストも元ネタがあると思しき煽り文だったからです。

それはこちらの画像に関係のある人物です。

北町奉行所 看板
北町奉行所跡

こちらは東京駅八重洲北口の北町奉行所跡です。
現在はビル群に囲まれていますが、江戸時代の名奉行・遠山景元などに縁のある場所として知られています。

“奉行所”と“遠山”……。そうとくれば、勘のいい方はピンときたかも知れません。

実は、時代劇「遠山の金さん」は実在の人物がモデルとなっており、それが遠山景元なのだそうです!

恥ずかしながら、この場所はしょっちゅう通っているのに知りませんでした。シャドーハウスを通じてまたもや一つ勉強になりました。


「これにて一件落着」


此度用いられたこの煽り文は、「遠山の金さん」がお開きになる時の恒例の台詞です。

桜吹雪ならぬ煤を散らし、ケイトはマッドサイエンティストを相手に見事に事を収めてみせました。続きを読む

第131話 仮説の証明【感想】

下の画像は、バチカン宮殿にある「アテナイの学堂」という壁画です。

アテナイの学堂

この作品はルネサンス期を代表する画家・ラファエロによって手掛けられました。

写真は2014年にイタリアに行った時に撮影したものですが、500年前の巨匠の傑作を目の前にすることができて、暫し立ちすくんだのを覚えています。
(友人に言われるまで気付かずにスルーするところでしたが…。)


私がこの壁画を見たかった理由は、「アテナイの学堂」はルネサンスを象徴する作品だからです。

14世紀のイタリアに端を発するルネサンスは、中世の欧州を長らく支配した封建主義を打ち破った出来事として知られています。「ルネサンス」の語源は「再生」「復活」を意味するフランス語ですが、その語句の通りルネサンス運動は古代ギリシアの思想哲学を拠り所としていました。
(物凄くざっくりとした説明です。もっと知りたい方は「科学の社会史-ルネサンスから20世紀まで」【著・古川安 氏】が詳しいのでお勧め。)


そんな時代に生まれたラファエロは、ルネサンスの申し子といえる存在です。

そして、その彼がローマの中心に残したのは、奇しくも古代ギリシアの科学者・哲学者が一堂に会した壁画「アテナイの学堂」でした。

向かって中心の左にいる人物がプラトン、右がアリストテレスです。

この壁画はキリスト教とギリシャ哲学の調和を表現していると言われていますが、現代の視点から見れば、ルネサンスの申し子がルネサンスの精神を象徴する作品を手掛けたことになります。何とも面白いものです。


ルネサンスの基調となったもう一つの思想に人文主義(humanitas)があります。

これは古代思想を復活させることで、キリスト教の膠着した教義から人間性の解放・復興・個我の自覚を図ろうとする運動です。

科学の発展には自由な思想と行動が不可欠であることは言うまでもありませんが、ルネサンスにおいては人間の思想と行動に自由がもたらされたことで、学芸や科学が発展しました。

この“humanitas”はのちの“ヒューマニズム”です。今では「人間の幸福追求」を意味する“ヒューマニズム”という概念も、ルネサンスがもたらした産物です。


さて、今回も話が逸れました。シャドーハウスに話を戻しましょう。

第131話では前回に引き続いて、科学研究の虜となったある一対が描かれています。

オリバーとオリーです。

とうとう自由を手に入れたと喜びを露わにしていた彼らは、前述のルネサンスの説明を鑑みれば、まさに生粋の研究者に相応しい態度でした。オリーの言う通り、館の教えを脱却したことで研究を邪魔するものは何一つなくなったのです。


しかし、不幸にもルネサンスとは大きく異なる点がありました。

残念ながら、彼らを支配していた思考は「人道主義」からほど遠い、人命をも省みない狂気だったからです。

洗脳さえ解けばこどもたちは仲間になってくれると信じていたケイトは、それを目の当たりにして絶句しました。続きを読む

第130話 実験と誤算【感想】

“マッドサイエンティスト”と聞いて私が最初に思い出すのは、「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターです。

初めて見たのは小説版だったのですが、常人では想像も及ばない彼の狂気に、幼い私はただただ困惑するばかりでした。(こんな本を子供の手の届くところに置いていた母よ……。)

羊たちの沈黙シリーズの本当の中身を私が理解するのはもっと後になってからです。様々な知識を得て、ようやく大人になってから楽しめるようになりました。血は争えないなあ…。


さて、古今東西様々な名作に登場する“マッドサイエンティスト”
例をあげればキリがありません。

羊たちの沈黙、フランケンシュタイン、博士の異常な愛情、ジギル博士とハイド氏……。

“マッドサイエンティスト”の定義とは何ぞやという話をし始めると長くなるので割愛しますが、一般的にはこういった作品が挙げられるのではないでしょうか?

…実在人物に関しては、まあ触れないでおきましょう。

時代によって評価が変わる場合もありますし、立ち位置によって見方が変わる人物なんてざらにいますからね。誰かにとっては“マッドサイエンティスト”に見えても、別の一方から見れば優秀な科学者だったりすることは珍しくありません。


ただ穿った見方をすれば、歴史に名が残っているということは“マッドサイエンティスト”と呼ばれている人物達は、確実に飛び抜けた頭脳を持っているということです。

普通の人であれば考えもつかない発想と行動があるからこそ、彼らは学問の最先端を駆け、新たな地平線を切り開いているのです。「天才と狂人は紙一重」と言いますが、優秀な科学者がマッドサイエンティストとは限らずとも、マッドサイエンティストが優秀な科学者なのは間違いありません。
(そもそもただの狂人だったら科学研究などできるわけないですし)


ところで、シャドーハウスにも科学者集団が描かれていますね。

“星つき班”の研究班です。

第60話でも描かれていましたが、彼らは皆良くも悪くも変人ぞろいでした。あのジョンでさえ突っ込みに回らざるを得なかった研究班の奇行を、よく覚えているという方も多いかと存じます。(第60話 研究班)

そしてその研究班を束ねる“星つき”のオリバー。
彼は決まり事よりも好奇心を優先する典型的な研究者のように見えました。


しかし、それが故に今回のエピソードを読んだ後、彼らが常識では推し量れない人物であることを改めて思い知らされました。

オリバーとオリーが見せた新たな一面は、ケイトでさえ予想不可な狂気でした。
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第129話 秘密の手段【感想】

登場人物の多さが目を引くシャドーハウスですが、一番の大所帯はケイト達の住む“こどもたちの棟”です。

ソウマトウ先生曰く、100人全員に名前や設定があるというのですから驚くほかありません。彼ら彼女らの中にはまだ台詞すら与えられていない組もいますが、いずれ活躍する時がきっとやってくるでしょう。

どの少年少女も気になるキャラクターですので、どんな場面で躍動するのか楽しみであります。


そして、その中で最も重きを置かれているのはケイトの同期達です。


主人公コンビのケイトとエミリコ、
公認パートナーのジョンとショーン、
同期+同班のルイーズとルウ、
貴重な恋愛要素を担うパトリックとリッキー。


以前、「100回記念!キャラクター登場回数ランキング(20位まで)」という記事で集計したのですが、この4組は全員が登場エピソード回数TOP20にランクインしていました。当時名前が判明していたキャラクターが65名だったことを踏まえるとかなりの成績です。恐らく、第200回を迎える頃にはもっと突出した結果になっていることでしょう。また調べる日が待ち遠しいです。


しかし、一組だけ例外があります。

シャーリーとラムです。

ここでその詳細には触れませんが、お披露目の際、彼女達は館の悪意によって悲劇に見舞われました。真実が明らかになった今でも、第43話を読むと当時受けた衝撃が鮮明に思い出されます。


ですから、今回のエピソードは感慨深かったです。

こんな風に彼女のことをブログで紹介する時が来るとは、あの日は夢にも思いませんでした。

それでは本題に参りましょう。

第129話は、ラムの主人・シャーリーのメイン回です!続きを読む

第128話 救いの手(2)【感想】

今、私が読んでいる漫画が“シャドーハウス”であることをすっかり忘れておりました。

一体何を言い出すんだと思われるかも知れませんが、今回のエピソードを読み終えて最初に出てきた感想はこれしかありませんでした。

もちろん、当然すぎることを申し上げれば、毎週木曜日に私が読んでいる漫画はシャドーハウスで間違いありません。この作品に惹かれたことで、今もこうしてブログを書き続けています。


そんなシャドーハウスの魅力は様々です。

親しみやすい絵柄や美しい背景、緻密なストーリーや考察したくなる伏線、驚くような設定や構成……。

これらが絶妙のバランスで描かれていることで、シャドーハウスは“類似作品不在”というキャッチコピーを不動のものとしています。これはソウマトウ先生の類まれな技術による結晶です。疑いなく、令和時代が終わっても語り継がれるであろう傑作でしょう。

特に、個性的なキャラクターが織り成すドラマは見ごたえ十分です。彼ら彼女らは単独でも魅力たっぷりですが、キャラクター同士の掛け合いや主従関係はシャドーハウスの物語をより奥深いものにしています。

第60話の研究班や第66話のパトリックとエミリコのエピソードは人気がありますし、本ブログの訪問者が増加したのは第22話で同期組が登場してからでした。

直近の第124話~127話では、ジョンやスザンナ、ルイーズやベン、ケイト班の面々が微笑ましいやり取りをしています。

そんなキャラクターの関係性もシャドーハウスの強みなのです。


しかし、油断していました。

ここまで述べたシャドーハウスの魅力は作品の側面でしかなく、本質を語るには不十分だからです。

第44話のあらすじ紹介でも取り上げましたが、ソウマトウ先生がどんな思いで作品を執筆しているかを改めてご紹介します。


“ ゴーリーの「人生におけるわたしの使命は人をできるだけ不安にさせることなんですよ。 人はみんなできるだけ不安になるべきだと思うんです。世界というのは不安なものだから。」という格言に共感しすぎているので今後も私たちはそんな作品作りをしていくだろうと思います。 ”
(令和元年10月8日のツイートより)

エドワード・ゴーリーは、絵本の世界にナンセンスかつ不条理な描写を持ち込み、現代でも多くの人々を魅了しています。彼の芸術性の高いイラストを見ていますと、世界は美しいだけではなく、むしろ美しさは残酷さを内包しているということをまざまざと感じさせられます。


それはシャドーハウスも同じでした。

“顔”の美しさが重視されるこの館でも、その裏では残酷さと不条理が慄然と存在しています。
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